一般公開されていない「クニペックス博物館」

ドイツのモノ作りの歴史を肌で感じる
工場見学を終えてランチを頂き、工場内の一角にある「クニペックス博物館」を取材させてもらうことになりました。博物館といっても、クニペックス社の工場の一角に用意されているプライベートなもので一般公開はされていません。この博物館には同社の工具作りに使われてきた歴史的な機械だけではなく、ヴッパタール周辺にあった製造工場で使われていた多くの機械が展示されています。ヴッパタールには工具だけではなく、様々な工業製品を作ってきたメーカーがありますが、その多くが鉄の加工に関わってきました。国作りの礎となった歴史的な機械を見れば、鉄と格闘してきたドイツのモノ作りの歴史や職人の息遣いが伝わってきます。
text:高野倉匡人(ファクトリーギア代表)

エントランスホール

博物館といっても一般公開されているものではないので、入場口というようなものはなく、工場内部から続くただの白い扉が入り口になっています。博物館の中に収納しきれない古い機械が溢れているようで、入り口脇の仕切られた柵のなかに置かれていました。現在も、人づてにこの博物館の存在を聞いたひとから、古い機械の提供の電話が入るというのだから、ドイツには今でも古いものを大切にしている人が多くいるのだと思います。

1980年頃にクニペックス社が導入したパソコン。懐かしいフロッピーディスクが使われています。壁の絵は1949年当時の工場の様子。ランチをした食堂もこのなかに描かれていました。

写真左
約150年前に使われていたという天秤はかり。アナログな天秤はかりは今もちゃんと使える状態。アナログだからこそ長く使うことができるのでしょう。今のデジタルはかりは150年後には動いていないだろうなあ。
写真中央・右
今から200年前の工具ボード。今もこんなボードを使った工具の管理方法はありますね。興味深いのはスパナの顔のデザイン。三角あるスパナがありますが、この形は今ではアメリカブランドのマックツールやスタビレーのスパナのデザインとして使われています。

写真左
150年前のブロワ。ハンドルを握り人力で蛇腹を利用してバタバタと動かして空気を送り込み、燃焼温度を上げるのに使ったそうです。かなりの重労働。
写真右
今や存在しない100年以上前のドリルが集められたディスプレイ。木工用が中心ですが、当時のドリルの形状や木製ハンドルなどを見ることができる大変貴重なものです。

ホール15 レベル2

刃物の研磨用に大きな砥石の前で全身を使って研磨作業をする機械。100年くらい前に作られたものだそうですが、30年前まで使われていたとのこと。轟音と研削の際の粉塵で、かなり過酷な作業だったそうです。

1920年頃に作られたハンマー。今風にいえば人間工学に基づいたエルゴグリップ採用ということになるのでしょうが、当時はこのように木のグリップを自分の手に合わせて加工していたそうです。手作業の職人御用達ハンマーですね。

馬の蹄鉄を作る機械で鉄を曲げるときに使ったものだそうです。今でいえばチューブベンダーと同じような仕組みですが、ギアを付け替えてトルクをコントロールしていたようです。

工場内の機械はベルトで連結され1台のモーターの動力をシェアして使われていました。同じ機械だけではなく、様々な機械を大小のプーリーを使い分けて制御することで上手に動かしていたのです。

80年から90年前の旋盤。旋盤は仕組みとしては今もほとんど変わらないので、状態が良ければ現在も動かすことができるというのだから驚きです。

1940年頃に型を作るために使われていた機械。今ならレーザーカッティングマシンで作る型を、職人の勘が頼りの手作業で作っていたことがわかります。使いかたのレクチャーを受けましたが、これはかなりの技術が必要な難しい作業です。

ホール15 レベル3

階段を下りた先にはホールレベル3があり、鍛造機械を中心に置かれています。一般公開していないという展示場であるにもかかわらず、メンテナンスが行き届いているのには驚かされます。

主に手作業で行う鍛造機械が中心に展示されています。ひとつひとつの機械はある程度動かすことができるので、当時の鍛造を体感することも可能。火を使った当時の鍛造の現場は相当過酷な環境であったことは容易に想像できます。

ふたりで行ったという当時の鍛造の様子をユルゲンさんとペアになってチャレンジ。何となくの実演でしたが、お互いの意思疎通がないと難しい作業ということは十分にわかりました。

これは人力ではなくハンマーの力で鍛造するマシンのデモンストレーション。大きなカマの刃の部分の鍛造をしていました。手をあてていますが、実際はベルト伝導の動力で動くハンマーを使っていたそうです。

2台の鍛造マシンは、当時の鍛造現場の様子が忠実に再現されています。手前の椅子は天井から釣り下がっていますが、これは鍛造の際に座りながら平行移動しやくするためのものだったのだそうです。

水車を利用して行っていたという鍛造機。電気によるものですが、実際に水車を回して鍛造機を動かすことができます。鍛造機の一部からは1864年という文字が読み取れます。ちなみに約600kgの鍛造機ということでした。

大きな大砲のように見えるのは空気を作り出すブロア。水車を利用して大きな鍛造マシンを動かすことが、ヴッパタールエリアでの鉄の加工に大きなアドバンテージになったのだと思っていましたが、実はこの大きなブロアを水車で動かし、大量の空気を供給して火の温度を上げることができたことのほうが大きな意味があるということでした。実際に人力では動かないこの巨大なブロアを見れば納得。

最後に、クニペックス社の代名詞ともいえるウォーターポンププライヤーを年代別に並べてみました。左から、1940年、1950年、1960年、1972年のもの。こうしてみると、1972年で現在の形がほぼ完成したということがわかります。

※このレポートは高野倉匡人「工具の本vol.7」の記事をWEB用に再構成したものです。