ドイツの取材旅行中、クニペックスのプッチ社長が迎えに来て歴史的な場所に連れていってくれるという話は聞いていたものの、一体どんなところなのかわからないまま、クルマに乗り込みました。クルマが石畳の道をゆっくりと動き始める。さあ、工具作りのルーツを訪ねるタイムスリップのはじまりです。
text:高野倉匡人(ファクトリーギア代表)
一千年前からスタートした鉄作り
久しぶりにクルマで走るヴッパタールの街でした。私は今回が3回目の訪問でしたが、過去2回は雨交じりの天気で「ヴッパタール=ど~んより」のイメージになっていました。しかし、今回は見事な快晴。9月初旬の天候は、このエリアも普段より雨が少なくなり、1年中でも最も過ごしやすい時期なのだそうです。日本の暑さとかけ離れた爽やかな空気と、期待で心も軽やかに踊りだします。
さあ、気分も晴れやかにエンジョイドライブといきたいところですが、実はプッチ社長、クルマの運転が得意なタイプではありません。その上、矢継ぎ早に助手席から質問をしまくる私に集中力が奪われ、やや危なっかしい。そして、さらに運転を難しくしている理由がこのエリアの地形にありました。とにかくこの一帯、山道が多いのです。ヴッパタールの「タール」は谷という意味と前述しましたが、私の印象では、山。箱根の山道を走っているような、そんなところなのです。
なるほど、これだけの山であれば水も豊富でしょうし、この高低差があれば水力を利用して鍛造したというのも理解できます。高低差を利用するということは、水車は滝のような場所にできているのでしょうか?川の水は常に豊富に流れているのでしょうか?プッチ社長は、まるで小学生のように落ち着きなく質問する私に困りながらも、無事、最初の目的地の駐車場にクルマを停めました。
歴史的な場所
ゲルぺの谷と呼ばれる場所で、1746年に建てられた鍛造小屋。現存する可動可能な最古のもの。
するとどこからともなく、ひとりのおじさまが現れました。彼は施設をガイドしてくれるオルツさん。簡単なあいさつを済ませると、状況がよく把握できない私を建物の裏のほうに連れていきます。鬱蒼とした森の中に溜池があり、先を行くオルツさんがあぜ道に足を止めて語りだしました。
「今、あなたが立っている場所は歴史的な場所です。一千年前、ここはただの川と森でした。しかし、全てはここから始まったのです」
どうやら、私はこの街で鉄作りがスタートした、まさにその場所に来ていたのでした。溜池から続く水路の先には水車があり、小屋と繋がっています。豪快に回る水車に圧倒されながら、なるほど、これがクニペックス博物館で見た巨大な鍛造機の動力になっているのだ、と理解して小屋の中に足を踏み入れました。小屋のなかは薄暗く最初はよく見えなかったのですが、暗がりに目が慣れた時に現れた光景に、思わず息を飲みました。
クニペックス博物館で見た機械は展示されていたものでしたが、この小屋の中では、それがほぼ完全な状態で動いていた、というより生きていたのです。
水車から流れる水の音、炉で燃え上がる火から伝わる熱。鍛造機に使われた古い大木と焼けた鉄の匂い。展示物を見るのとは全く違うことなのだと感じました。私は、一瞬で今から300年前の薄暗い鍛造小屋の世界にタイムスリップしたようでした。オルツさんによれば、鉄の加工の技術が急速に発展したのは今から約600年くらい前とのこと。そのころから川に沿って水車を作るようになり、その力を利用して大きな蛇腹構造のブロア(送風機。※前述の クニペックス博物館 を参照)を動かすようになったのだそうです。
銅の融点1083.4℃に対して鉄は1535℃。大型のブロアを水力で動かし大量の空気を送り込み、高温での加工を可能にしたことによって、鉄製品を大量に作れるようになったそうです。農業用工具だけではなく、武器としても使用された鉄の需要は大きく、高温の加工によって鉄加工が可能になったことが、このエリアの発展にとって大きな礎となりました。
その後500年ほど前になると、それまで手作業に頼っていた鍛造を水力を使ってできないかということで、鍛造機にも使用するようになったそうです。水力の活用は、鍛造機が最初だったのではなく、高熱を生み出すための風を送るブロアが先だったというのは意外でした。
すべて動態保存された機械達
小屋の中には、水車によって動く大型の鍛造機以外にも、100年くらい前のスプリング式の鍛造機やサンディングマシン(研磨機械)が置かれていました。よく見るとこれらの機械も、みな動くようにセッティングされています。水車から直接つながっている鍛造機で、デモンストレーションをしてくれたオルツさんが「どうだ、ちょっとやってみないか?」と、声を掛けてくれたので、私は少し小さな鍛造機で、恐る恐るチャレンジしてみました。
いざ、チャレンジ!
極めてアナログな、バラつきのある打撃を刻む鍛造マシンを前に、本物の火に焼けた真っ赤な鉄を生まれて初めて叩く。腰を思いっきり引いて、手を差し出して振動を受け止めるのがやっとでした。とにかく、その全てが夢のような体験で、小屋から出てきたときは、どこかのアミューズメントパークから出てきたような気分になっていました。ドイツのモノ作りは、こんな森の中で、水と火と格闘しながら、何百年もの間、職人が積み上げてきたものなのです。
水、木、鉄鉱石が近隣で調達できるこのエリアの環境、さらに、自然の力を借り、大地からの恵みを受け、人々が辛抱強く数百年に渡り長く続けてきたからこそのモノ作り。この小さな小屋から、そんな人々の歴史の重みのようなものをずっしりと感じました。
ー 後編へ続く ー
※このレポートは高野倉匡人「工具の本vol.7」の記事をWEB用に再構成したものです。