赤穂浪士も使っていた関市の名刀・日本刀作りを見学〜工具のルーツを探る〜

以前から気になっていた日本刀。究極の切れ味を求め機能を追求し、鉄を鍛え形を整える。熟練を重ねた職人が創造と試行錯誤を繰り返し一振りの刀を生み出していく。工具作りの現場に足を運ぶうちに、日本の伝統である日本刀が作られる現場を見たい気持ちが強くなってきました。きっとそこには究極の工具作りにつながるヒントがあるに違いありません。
text:高野倉匡人(ファクトリーギア代表)
取材協力:関鍛冶伝承館 関市環境経済部商業観光課

いざ刃物の町、岐阜県関市へ

刃物の町として全国にその名が知られる岐阜県関市。今回刀作りの現場を取材しようと訪れたのが関鍛冶伝承館とよばれる、日本刀の博物館です。ここでは「日本刀のできるまで」を追ったさまざまな資料が本物の刀とともに展示されているます。また、日本刀の鍛錬場も併設されていて、その様子は定期的に一般公開もされています。

【写真】伝承館には折り返し鍛錬の様子が再現された人形が展示されています。鍛錬の実演はいつでも見学できるわけではありませんが、この人形によるかなりリアルな実演ならいつでも見ることができます。
関に刀作りの職人が移り住み、作刀が始まったのは南北朝時代から室町時代の初期。関の刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と称され全国に広がっていきました。戦国の時代を経て江戸時代になっても、あの赤穂浪士のほとんどが関の刀を使っていたというほど人気の高い刀だったそうです。今回は刀匠小島兼道氏に特別にお願いして、熱した鋼を大槌で叩く古式日本刀鍛錬を見学させて頂くことになりました。

午後になると、鍛錬場で待つ私の前に、白装束に身をつつんだ弟子たちが現れました。彼らは早速作業の準備にとりかかりますが、しばらくすると刀匠小島兼道氏が登場し、いよいよ鍛錬が始まりました。

神聖な儀式

鍛錬場の炭に火が入れられ、刀匠が鞴(ふいご)と呼ばれる木箱の木のハンドルをゆっくりと前後に動かすと、その動きにあわせて炭に空気が送られ、火は勢いを増しパチパチと音をたてます。穏やかな午後、ほとんど物音のしなかった鍛錬場は、鞴から送られる「ヒューヒュー」という音と、勢いを増す炭の「パチパチ」という音につつまれ、なにやら神聖な儀式がはじまる前のような雰囲気で満ちてきました。

刀匠が小さな槌をトン、トン、と叩いて合図を送ると、3人の弟子が刀匠の周りで腰を下ろしスタンバイ。刀匠の鞴を動かす手の動きが早まり、赤く熱された鋼が取り出されます。刀匠の槌の合図に合わせて、弟子たちが大槌で相槌を打ちます。そうすると鋼からは不純物が火花となってたたき出されるのです。このようにたたいて伸ばされた鋼は、何度も折り返し鍛錬されます。

響き渡る「トン・テン・カン」の音。的をはずすと「トン・チン・カン」と音が変わる。なるほど、この作業の中には我々が使っている日本語の由来がいくつもあるようです…。

実演!折り返し鍛錬

鍛錬の際に使われる「たたら炭」とよばれる松炭。1200度から1300度という高温を生み出すにはこの松炭が一番。関に鍛冶が集まったのは、この上質な炭があったからともいわれ
ているそうです。

3センチ角に切り揃えられた「たたら炭」が勢いよく火力を増します。その大きさに炭を切る炭きりの作業は弟子たちの仕事だそうです。

鍛錬の際に刀匠が着座する場所。火と水と泥灰を使う、700有余年の歴史を持つ伝統的な技を駆使し、平成の日本刀がここから生まれます。

刀匠の槌の合図を、息を呑むように待つ弟子たち。

飛び散る美しい火花は不純物。鍛錬されることにより不純物が美しい火花となって飛び散るというストーリーが、日本刀作りに神秘性を高めるのかもしれません。

ドイツ職人も驚く神秘的な鍛錬

折り返し鍛錬をじっくりと見学した後、刀匠の小島兼道氏にお話を伺いました。今回の取材の意図をあらためて説明し、ドイツに行きドイツの工具作りの現場を見てきた話をすると、思いがけない話が聞けました。

実は小島氏も3年前に、鍛冶職人の交流を目的にドイツから招かれてケルンとミュンヘンを訪問したとのこと。その時のドイツ人の反応はどうだったんですか?と伺うと、

「彼らの前でも折り返し鍛錬の実演をしたんですが、鍛冶作業というよりも神秘的なものとしてとらえているようでしたね。やはり、私たちから見るとドイツの鍛冶は少し大雑把に見えます」

とのことでした。

山を砕き、川を流し、集められた砂鉄で作られた玉鋼(たまはがね)と呼ばれる原料。8キロから10キロを用い、何度も何度もたたくことで、最後は1キロほどの重さにまで鍛錬して作られる日本刀。この作業と比較したらさすがにドイツの鍛冶職人でも舌を巻くのは当然かもしれません。

日本刀=武士の家宝

【写真】一本の日本刀が作り上げられるまでには幾段階もの工程を経ていきます。決してただ単に鉄を叩いて延ばして磨いているわけではないのです。
一本の日本刀を作るには刀匠だけでなく幾人もの職人が技のかぎりを尽くし仕上げていく。その工程を見ると、武器を作る作業というイメージは全くありません。まるで高級美術品を作っているかのようです。

小島氏曰く、
「実は日本刀は実用的な武器として使われた期間というのは短いのです。戦国時代もメインの武器は槍であって刀ではなかった。刀というのは武器というよりもむしろ、武士の象徴として家宝として作られてきたのです」

これは意外な話でした。しかし、だからといって実用性を軽んじてきたわけではありません。武器としての機能である「折れず、曲がらず、よく切れる」を徹底的に追求し続けたのが「日本刀」です。刀匠は自分の経験と技の限りを注ぎ、刀としての最高の機能を追求し鉄を鍛錬します。その結果として、日本刀は誰しもが息を呑むような美しさをまとって生まれてくるのです。

機能を追求した先に現れる“究極の美”

【写真】日本刀は武器としての機能を追求しながらも、芸術品としてさまざまな巧の技が織り込まれます。この刀には、竜の彫り物と刃文とが絶妙なバランスで表現されていました。
「日本刀は本当に美しいです。砂鉄のかたまりの玉鋼が最終的にこんなに美しい日本刀になっていく。鉄はどこまで美しくなるのか。日本刀を通じて鉄の妙味を感じてもらいたいと思っています」

日本では武器であった刀に究極の機能を求め、気の遠くなるような年月をかけ生み出した刀の歴史があります。日本人は、道具を芸術品にまで仕上げてきたのです。なるほど、僕が美しい工具にゾクゾクするのはこんなDNAが影響しているのかもしれません。

美しさのためではなく、その機能を追求した美しさ。

鉄を原料とした道具である日本刀と工具。

これらは同じ流れのなかにあるとはいえないでしょうか?一度でいいので、日本刀並みの時間とお金をかけて、究極の工具作りにチャレンジしてみたいものです。

この特集は高野倉匡人「工具の本 2007」の掲載記事をWEB用に再構成したものです。