ー 前編は こちら です ー
鍛造マシンで実際に焼けた鉄を叩くというかなり特別な体験の後だったので、正直なところ、もう少し余韻に浸りたいと思っていました。そして頭の中も整理したかったのですが、もう一軒、プッチ社長は私たちのためにどうやらアポイントを取ってくれていたようです。私たちを乗せたクルマは、再びゆっくりと山道を進み始めました。
text:高野倉匡人(ファクトリーギア代表)
生きる博物館
相変わらずの山道をグルグルと走り、メインロードからデコボコ道にクルマを進めると、こんなところに何があるのだろう? と思うような山間に一軒の小屋が現れました。
そこで出迎えてくれたのは、ガイドをしてくれるエルンストさん。ここも日常的に公開している場所ではなく、今回もこの取材のために小屋を開け、我々を待っていてくれたのです。
軽快なフットワークで、いかにも現役職人という雰囲気のエルンストさんが小屋の中に招き入れてくれました。「何か飲みますか? コーヒー? ペリエ? サイダー? コーラ?」そう言うと、ナッツとビスケットを用意し、冷たい飲み物もあっという間に出してきてくれました。入り口付近にはちょっとした歓談スペースがありますが、その後方には、さっきまでいた小屋と同じように古めかしい機械がセッティングされ、天井にはたくさんのベルトが張り巡らされていて機械をつないでいました。ここに並んでいるのはサンディングマシン(研削機械)。「これらも水車で動くんですか?」と尋ねた私に、エルンストさんが「こっち見て!」と小屋の裏側を案内してくれました。
小屋の前から裏側に続く坂道を上がっていくと池があります。田んぼのあぜ道のような細い道を抜けると、ここにも水車があり、小屋のなかへと繋がっていたのです。
エルンストさんによると、この小屋は1790年頃できたものだそうですが、実際、今ある小屋は1901年に焼失して、その後立て直されたものなのだということでした。それでも100年以上が経過した、立派な歴史的施設。夏のシーズンには2週間に一度一般公開をしていて、観光コースの一部にもなっているようで、現在も一部の機械で肉引き用の刃物の研磨をしているそうです。
この作業は「生きる博物館」としての価値も含めて、地域の人々が協力して維持管理されています。つまり、飲み物や食べ物がすぐに出てきたのも、ここが日常的に利用されている施設だからだったのです。
研削職人の息づかいが聞こえてくる
約100年前、この小屋でどんな作業が行われていたのか?1900年代初頭、当時の研削職人は個人個人が独立して仕事を請け負っていて、彼らはこの小屋にあったいろいろな研削機械を1時間単位でレンタルして仕事をしていたそうです。この小屋には、入り口付近に設置された大型の研削機械以外に、2階にも精密な研削機械が用意されていて、最盛期にはここで28人が働いていたという記録が残っています。
この周辺には、良質な鉄鉱石が取れたエッセンがあったこと、高低差を利用した水車を動かし、ブロアで空気を送ることで木炭の温度を上げ、高温での加工に成功し鉄製品の製造が盛んであったことは前にも述べましたが、良質な鉄を活かした加工技術により刃物類の生産も行われるようになったとのことです(ちなみに日本でも刃物の産地として有名なゾーリンゲンも近くです)。
刃物に欠かせないのが刃の研磨作業。特に砥石を使った仕上げ作業は職人の技の見せどころ。つまりこの小屋は、今から約100年前、刃物を仕上げる職人たちが、日夜、技を競い合った場所なのです。この場所で多くの職人が技を磨き、高い技術で仕上げられた刃物が世界に飛び、ドイツ刃物の評価を高めてきました。ここはドイツの刃物の故郷ともいえる場所なのかもしれません。
技術者たちの足跡を肌で感じる
写真左 機械室では過去100年に渡るエネルギーの歴史を見ることができました。
写真右 水車の動力をトランスミッションに伝達している仕組みがオープンになっていて確認することができます。
そしてこの小屋の中では、もうひとつの注目すべき機械を見ることができます。それは2階に集められた原動機の数々。1800年ごろから改良を重ねられた水車、そして1888年の蒸気エンジン、1890年の頃から使われるようになったというディーゼルエンジンが集められていて、現在も動くように整備されているということです。
1959年代に電気モーターが設置され、今ではこれによって機械を動かしていますが、こういった歴史的な機械を時系列で見ることで、動力がモノ作りにどれだけ貴重なのかを感じるとともに、それを生み出すために、ドイツという産業国で歩んできた技術者たちの足跡を肌で感じることができました。
コンピューターを駆使し大量に高品質な製品を作りだす超近代的なクニペックスの工場のあとに、そのルーツといえるヴッパタールの超アナログなモノ作りの施設を見られたことは、本当に貴重な経験でした。ともすれば、現状だけを見てメーカーの製品を評価してしまいますが、実際には、そこに至るまでに人々が重ねてきた歴史があり、そんな歴史の先に今の工場があるという目線で現在の工具を見れば、ドイツ工具への思いも変わってきます。
過去、どんなところで、どんな人たちがどんな作業をしてきたのか? 数百年という、今を生きる我々では到底体感できないほどの長い年月を地道に重ねてきた地域だからこそ、このエリアから生まれるドイツ工具にはドイツ職人の香りが漂うのだということを、改めて感じました。
※このレポートは高野倉匡人「工具の本vol.7」の記事をWEB用に再構成したものです。