クニペックス 工場レポート

世界最高峰のプライヤーは哲学と情熱から生まれる
どうしてクニペックスの製品に追いつけないのか?世界中に数ある多くのプライヤーメーカーが血眼になって開発を進めても、どうしてもクニペックスのようにトータルバランスに優れた製品はなかなか生まれてきません。クニペックスの製品には素材、デザイン、製造技術など目に見えるものだけでなく、目に見えないもの作りの哲学と理念が深く埋め込まれているのです。
text:高野倉匡人(ファクトリーギア代表)

歴史と未来の飽くなき探究心

1882年にカールガスタフ・プッチ氏により創業されたKNIPEX社(クニペックス。ドイツでは「ニペックス」などと呼ばれる)は、現在上質なプライヤーメーカーとして、その品質の高さを世界的に評価される工具メーカーです。

その工場はドイツ、デュッセルドルフ近郊のウッパタールという工業地区にあります。このエリアから約25キロほど離れた場所にはエッセンという鉄の産地があったことで、そこで産出される高品質な鉄を原料に、周辺にはウッパタール以外にもドルトムント、そしてヘンケルで有名なゾーリンゲンなど、世界的な工業品を生み出す街が育っていきました。天候も悪く痩せた農業に向かない土地であったこの一帯では、鉄鉱石がとれたことから、このように鉄製品に関わる多くの産業が育ったのです。戦前には様々なメーカーが1000社以上あったこの周辺も、最近ではその数が激減し、主要な工具メーカーも、もはや12、3社を残すのみとなってしまったようです。

この背景にはアジアを中心とした低価格商品の攻勢があるでしょう。しかしクニペックスはそんな波に飲み込まれることなく、ドイツ工具メーカーとしての光を放ち続けています。同社を率いるのは創業者から4代目となるラルフ・プッチ氏。2006年6月に初めてクニペックス社を訪問した私は、プッチ氏の工具作りにかける真摯な姿勢に感激しました。その後プッチ氏が来日した際、訪れたファクトリーギアの東京店では、なんと1時間以上もかけて隅から隅まで熱心にお店を見学されていました。

世界的な工具メーカーの社長が小さな店を1時間以上じっくりと時間をかけ、自社の工具だけでなく、ひとつひとつ工具を手に取って丹念に見る姿には驚きました。普通はこの規模の会社の経営陣になると、取引上の理由からお店に訪問することだけが目的となり、徹底的に見るということはあまりありません。今回の取材でも朝から夜まで、1日中プッチ社長自らに案内して頂きました。工場の案内をして頂く前に、なぜクニペックスは、多くのメーカーが淘汰されるヨーロッパ工具メーカーを取り巻く厳しい状況の中でも強い存在感を放ち続けるのか?その根本的な秘密について訊ねました。

プライヤーの80%はクニペックスのアイデア

「私の祖先はラクダにのって1800年代から行商していたのです。私たちが生き残れた一番の理由は常に外に目を向けてきた、ということでしょう。現在、販売構成の多くが輸出である当社にとって、この姿勢は非常に重要なものです。また何かに固執することなくフレキシブルな考え方を持って常に独自性のある革新的な商品を開発してきた、ということも挙げられます。ここ20年間で様々なプライヤーが登場していますが、商品として定着したものの約80%はクニペックスのアイデアです。多くの工具メーカーが総合メーカーになるなかで、クニペックスはプライヤー作りに特化したもの作りを進めてきた。ひとつのカテゴリーで製品の品質を高めることに集中すれば本当によいものができる。今は工具業界全体をみても、専門メーカーから買うというトレンドが高まっていますよね。これもその要因のひとつでしょう」

国際性、開発力、専門特化。この3つのキーワードがクニペックスを支える柱です。しかし、私にはもうひとつ気になるキーワードがありました。それは「ファミリービジネス」です。

ファミリービジネスの誇り

昨年のアメリカ、今年のドイツと世界の工具メーカーを取材するなかで、幾度も耳にしたファミリービジネス。今回訪問したスタビレー、クニペックス、PBでも会社を説明する際に必ずファミリービジネスであることを強調する。何ゆえにファミリービジネスであることにこだわり、そのことをみんなが誇りとするのか?日本ではファミリービジネスというとなんとなく一族独占のわがまま経営のようにも思ってしまいます。ファミリービジネスであることのメリットはいったい何なのでしょうか?

「クニペックスのようなプライヤーに特化したメーカーにとって、ファミリービジネスは非常に適しています。なぜなら、株式を公開している会社ではないので長期的視点にたって経営を進められます。これは我々のターゲットとする、ものの品質にこだわるユーザーに対して長期的にブレのない方向性で商品を提供し続けられることにつながります。株式を公開して総合工具メーカーとして巨大化すると、ユーザーに対しての『GOOD』を追求する前に利益を追求しなくてはならない。ファミリービジネスであれば利益を追求するだけでなく、時にはメーカーとしての企業理念を優先し、その姿勢を貫くことができるのです」

彼らに共通するのは、創業者から長年に渡って守り続けたメーカーとしての理念を守る姿勢です。特に昨今の工具業界を揺り動かしている大きな買収劇の裏側で、特色ある品質の高い工具を作り続けようとするヨーロッパのメーカーにとって、ファミリービジネスを守り続けることの意味は大きいのです。

哲学を研究する学者社長

「ネジをまわすとか、ものをつかむとか、そんな単純な道具なのに、工具には多くの人の試行錯誤と創造の歴史があります。そんな経験とか伝統とかがいくつもいくつも重なり合って、現在の形になっている。それはまるで植物が育つのと同じように、たくさんのものが重なっているのです。そうして形になった工具が、今度はなにかを生み出すために人とモノをつなぐ。工具というこんなにも魅力的なもの作りに関われることは本当に面白いです」

工具が好きだと笑顔で話すプッチ社長は、工具メーカーの社長というよりも学校の先生のように見えました。何とこの仕事をする前、30歳までは大学院で哲学を研究していたのだということです。哲学を研究する学者社長が率いるクニペックス。その工場からは、工具の母国ドイツの精神が脈々と息づく本流工具メーカーの風格が漂っていました。

※このレポートは高野倉匡人「工具の本2007」の記事をWEB用に再構成したものです。